Alexei Likhtman先生が事故でお亡くなりになってしまいました.まだ44歳の若さでした.
Likhtman先生はモスクワ大学で高分子物理を学ばれた後,確かギリシャとイギリスでポスドクをされ,そのままイギリスで講師(っていうかイギリスのLecturer)を経て,2007年からReading大学の数学科で教授をしていました.36歳で教授になっていたということから類推できるように非常に卓越した研究者で,高分子の計算レオロジー分野ではトップの一人として確固たる存在でした.ここに先生のwebへのリンクを貼っておきますが,そのうちこのwebも無くなるんかなあ.
増渕はLikhtman先生と2003年くらいから知り合いでした.ほとんど同じ問題をターゲットにしていたので学会で知り合うのは自然で,よくお会いしてお話していました.先生がまだLeeds大学で講師をされていたころのことです.確か2005年に開かれたフランスの学会のついでに研究室におじゃましたい,と打診したところ,同じ学会に出るから一緒に移動しようということになって,フランスからイギリスまで列車で5時間,いろいろなことを話し合いました.2012年には京都に数ヶ月滞在され,ご家族もおいでになって,ほぼ毎日,昼食を一緒に食べて,共同研究の可能性などを話し合っていました.
特に思い出に残っているのは,先生のお宅に泊めていただいた時のことです.2012年に先生の研究室の博士課程の学生さんの審査委員を増渕が仰せつかり,セミナーやディスカッションもしようということで2日間先生の研究室に滞在しました.このとき,研究室のバーベキューを先生のご自宅の庭で開かれて,そこに増渕もご招待くださいました.イギリス人は魚はあまり食べない(フィッシュ&チップスに使うタラか何かと,他にもう1種類くらいしか食べなくて,あとは捨てる)らしいのですが,魚好きな日本人である増渕のためにわざわざタラの開きの大きいのを2枚ご準備くださって,(肉も食べたかったけど)お腹がいっぱいになったのでした.奥様もとても素敵な方で,たくさんの手料理を振る舞ってくださいました.その後,先生の書斎に泊めてくださったのでした.増渕が特に親しくさせていただいている海外の先生方は多分15人くらいおられて,ご自宅にご招待いただいたり,増渕がご招待したり,していますが,泊めていただいたのはLikhtman先生の家と,イタリアのMarrucci先生の別荘だけです.
その後もかなりの頻度でメールをやり取りしていて,調べたら最近では10月5日付で連絡していました.ある内容で論文を書いていて,共著にするか,あるいは別々の仕事として分けるか,という相談をしていました.Likhtman先生にしてみると増渕の計算のクオリティがイマイチだったのでしょう,結果を見せたところ,共著ではなく別々にしないか?と言われて,ちょっとへこんでいたところでした.
記事によると,学会(多分アメリカのレオロジー学会)に出席して,空き時間にハイキングをしていたところ,コースから誤って転落したとのこと.写真を撮ろうとしていたようです.Likhtman先生は写真が好きで,かつお得意でもあったようで,京都に滞在されていたときも大阪まで中古レンズを買いに行ったりされていました.
非常に残念です.ご冥福をお祈り申し上げます.
Alexei, I’m very sorry to hear about your loss. It is too much early. Nevertheless, I hope you walk close with God.